ドクターヘリ救急医からJOYに
2019年、平成最後の年にあたって、この激動の10年を振り返ってみた。
最大で最高の出会いはある技術との出会いだけなのは間違いない。
人間最高の機能を発揮させる技術。
すべての問題の原因と解決策を知り、
「これ、やるしかないじゃーん♩」と
ノリノリな毎日を送る私の10年を振り返ってみた。
2009年 研修医かな、医者としては順調だったけど、4、5年つき合った彼氏への小さな不満や不信が蓄積して悩む。6年も大学行って医者になれたけど、コレから先が仕事もプライベートも不安で先が見えない。
2010年 何の医者になるのか?をこの辺りで決定しなければならず、総合内科、産婦人科、精神科、救命救急科、消化器外科、小児外科、脳外科、地域医療、麻酔科、小児科、薬理、病理、解剖などの研究医の方々と自分の大学病院もそれ以外も兎に角いろんな人と出会って話を聞きまくる&相談しまくって、小児外科を選択。諸々あって救命救急へ転科。しかも転科で揉める。今思えば完全なパワハラだが、当時はそんなこと無自覚。ストレスMAXで過食嘔吐が最大値。
2011年 本格的に救急医としての毎日がスタート。希望と熱情、失敗やドクターヘリの高所の恐怖がごちゃまぜの中、夢中で仕事勉強仕事勉強仕事勉強仕事勉強を繰り返す。小児外傷、熱傷、DV、薬物中毒(自殺)、高エネルギー外傷、意識障害、肝損傷、腎損傷、アナフィラキシーなどなどどれもおもしろかったし環境は最高だったけど、①生きるとは②医者とは③尊厳とは?という本質的な問いが消えないまま日々を過ごす。体調不良だと思っていたらどうやら鬱だったらしく、突然休職。どうりで自殺未遂で搬送されて、死んで行く人がうらやましいと思うわけだ。
ふとかけた電話からnTechという最新技術を学ぶようになった。
自分の本質的な3つの問いに容易に答えられるようになったのはその学びのおかげだったから。
まだその時技術の開発中だったので、私も微力ながら開発に携わる様になった。ここから人生が反転した。
お金も彼氏も仕事も地位もあるので成功していると思い込んでいたが
どうやら精神的極貧状態だったときに
反転してみて気づいた。
それでいったら技術を開発しながら学んだおかげで精神的大富豪になってた。
そしてようやく2018年その技術が完成して、社会にも発信するのが比較的簡単になって来た。
その技術を活用して医療集団を作ることで
医療の技術確信、意識変革を起こして行ける。
私がしたいのは世界を健康な人だけで溢れさせること。その人類が永遠に続く仕組みを作ること。
こんな大きな夢が最初からあったわけじゃなくて
技術を使って自分の無限の可能性を自分で開いてきたから。
開かせてくれる場を活用して、どんどん開いていくこと。
変化を起こすこと自体はそんなシンプルなこと。
死の本質が理解できたとき、
生きることも死ぬことも同等にただ、最高の解析を創造するだけ。
それが共有できる仲間を作るだけ。
それがJOYカフェの本質でもあり、生きることとの本当の出会いなのです。
こんな女医と出会いたい方、ぜひコメントくださいね。
世界を変えるのは個人
個人を変えるのは技術
その技術は日本で生まれて、今は日本人だけが、その世界最高最先端の技術を得られる特権を持っているのです。
日本人に生まれて良かったと100%思える確信があります。
日本人なら一度はその技術と出会って欲しいし、出会うべきだと私は思っています。
http://www.nr-japan.co.jp/ntech/index.html
naomijoy
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