父が教えてくれたこと、父に教えられること

父が教えてくれたこと、父に教えられること

私は色々な方と繋がりをもちながら、社会がもっとより良い方向性にいってほしい

いってくれないと困る、と思っています。

私が医師だと分かると、3、4個質問頂いたころ

親御さんもお医者さんなの?」と大抵聞かれます。

親戚中探しても、誰も医師はいません。

父も母も医者じゃありません。

でも、認識技術を学び、沢山の気づきの中で父の影響もあって

医師になったことに最近気づかされました。

やはり、無意識に自分を作ると勝手に周囲の影響を吸収して「自分」を作っていますね。

父は橋や高速道路を作る会社に勤めていたのですが、人望も厚く会社の方を家に連れて来たり

とても素晴らしい人間関係を気づいているように見えていました。

沢山の人に囲まれて、日本全国に出張にいく父の姿は

子供の頃の私にはとてもかっこよくうつりました。

人を大切にする父の性格は、祖父母や沢山の兄弟姉妹と、地元の温かい地域性のことも起因していますが

1つは父の子供の頃の経験によるものです。

あまり人にはいいませんが、父が学童期の時、父のすぐそばで弟さんが事故で亡くなっていることも

父の冷静さや人との出会いや交流の一瞬一瞬を大切にする

人柄を形成したと、私はおもいます。

子供のころから危険から身を守ることに、真剣な父を何度か見ていました。

死んだ弟さんのことは私が成人してから知らされたことですが

危険から身を守ることについてとても敏感な父には、そんな背景があったのかと、妙に納得しました。

そんな父が会社の中で危険予測や安全管理の仕事についているのも

因果なのかもしれません。

「人間は必ずミスをする、だからミスをしないように仕組みを作ることが大事なんだ。」

父からは医師の仕事にも繫がる、大事な言葉を沢山もらいました。

そんな父から電話で相談を受けたのは私が医学生の5年目の頃。

『「うつ病」ってなんだ?』父が私に質問をすることは、それまで余りなかったのですが

会社でそういった人が何人かでたそうで、本気で悩む父の姿が感じ取れました。

その時は教科書的なことしか話すことはできませんでしたが

衝撃を感じたのを覚えています.

壁にぶつかっても学び、協力し越えて行くことが得意な父から弱気な言葉を聞いたのはこの時が初めてでした。

直感的に私は「父に理解するのは困難だろう」と思いました。

うつ病の繊細な心の構造は柔道の元国体選手であった超体育会系な精神構造の父には

まず自分の観点を手放す技術がないと

自分の視点や観点、考え方を完全に手放すには脳の機能から自由になるしかありません。

そのために必要なのは薬や手術や催眠療法ではなく

言語の転換です。

言語の転換というと難しく感じるかもしれません。

実際私が始めに学んだ頃は一通り習得するのに

丸々30日かかっていました。

今では沢山のコースができ、2時間半コースから、1週間集中コースまでその人に

合わせたスタイルで学ぶことができます。

その、「認識技術」は一度学べばどこにいてもいつもどんな時も使うことができます。

しかも高校生レベルの理解度と知識があって日本語がわかれば大丈夫。

その技術を開発したのは???

実は日本を愛しすぎてやまない韓国人。

その名もノ・ジェスさん。http://blog.noh-jesu.com

日本が世界を変えると

23年間言い続けているちょっと変わった人。

心の国が心が一番わからなくて、うつ病になっていることに

韓国人でありながら、一番胸を痛めているのがノ・ジェスという不思議な人。

この方の技術が本物だからこそ、23年間彼の株式会社は成長を続けています。

ぜひその技術と出会って、自分の観点を手放し

相互理解からくる新しい道をすべての人に

創造し、人生を豊かにして欲しいと常々思っています。

 

naomijoy

 

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