死にたくないのに死がやってくる

死にたくないのに死がやってくる

子供の頃からなんでも上手にこなし

かつ勉強もスポーツも努力してし続けて
結果を出して来たKさん。
 
地元を出て、憧れの看護師になって
誰もが知っている大学病院で
仕事をしながら

金銭的にも社会的にも安定し

順風満帆な人生でした。
 
 
あとは素敵な旦那さんと子供が出来たら
いいな〜と思っていたある日
 
健康診断で要検査になり、
すぐに精密検査を受けると
胃に進行性の癌が見つかりました。
 
さらに詳細な検査を勧め
余命半年を宣告されました。
 
 
死を宣告された時
あなたなら何を思いますか?
 

生きていることがどういうことなのか絶対的に知りたい

 
私はそう思います。
 
子供の頃からそういったことを考えて来た私にとって
生と死の意味価値と仕組みがわからなければ
年を重ねても何も始まっていないのと同じだと思っていました。
 
 
私自身、10歳で自殺しようと決意した時も
この生の意味や価値がわからずただただ決意だけがありました。
 
なんで生きなければならないの?
なんで生まれて来たの?
なんで死ぬの?
 
 
その答えば祖父母の死
親友の死
尊敬する先輩の死を経験しても
何年病院に勤めても
何回患者さんを看取ってもわかりませんでした。
 
 
 
生まれる、死ぬを調整しているのはなんでしょうか?
 
 
DNA?
神様?
運命?
 
どれも根拠に乏しいと、私は思いました。
 
DNAなら同じDNAの一卵性双生児は同じ病気、同じ死に方をしなければなりません。実際はそうではないでしょう。
 
 
 
神様が決めているのなら、その神様はどこにいるのでしょうか。
誰が見たのでしょうか。
私は見たことがありません。
 
神様にとって
早く死ぬ人と、遅く死ぬ人はどんな格差を生み出しているのでしょうか。
神は平等ではないということですね。
 
運命だとしたら人間は決定論の中に
いきていることになります。
自由意志のない、もしくは限られた自由意志を自由だと思い込んでいることになります。
 
 
 
人間の脳が認識できる範囲の生死に対する「なぜ」に答えること
 
 
これがほんとうの生死を分かった生き方だと私は思います。
誰もがその大切なピースを知らないまま生き
死が目前になった時本気でそのことを思索し始めるも
答えは見つからないまま死んでいくのです。
 
 
 
そんな疑問にすべて明確に回答できるのは
認識技術しか今の所在りません。
 
認識技術はNRグル−プが独自に開発した
人類すべてに共通する能力開発ツールです。
 http://www.nr-japan.co.jp
 
 
ツールなので、自分自身でしっかりと受け取る準備が必要です。
(大抵の方は自然とコレが作られているので問題ありません)
 
 
学ぶこと=暗記ではなく
学ぶこと=理解、実践していくこ
 
本来の学びは活用するためにあります。
 
生死について学んでも理解実践することが重要です。
 
あなたが生きるにおいて
あなたが死ぬにおいて
認識技術が活用できるとしたら
学ばないことのほうが不自然では?
 
今日はちょっとダイレクトすぎる表現だったかもしれませんが
生死についてやはり
力が入りすぎてしまうのかも
知れませんね。
 
昨年溺愛する姪が亡くなった時も
生死について認識技術を活用した概念がなければ
私も廃人になっていたでしょう。
 
そうならず、死をしっかりと受け止めました。
受け流さず、別離せず、諦めず。
そして自分自身も生を全うしているからこその答えに辿り着くことが出来ました。
 
 
そのお話はまた今度、書きたいと思います。
 
 
naomijoy

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