歴史の解釈について
観点の問題を理解しない状態で歴史を解析することが
どれだけ危険なんだろう。
人間はひとりひとり観点が違う
どちらが正しいとか
どちらが間違ってるとか
その判断にすら観点が働く
だから観点の問題を本質的に理解し、解決しない状態では
何をするにしても
みかんの皮だけを食べているようなものだ。
あなたがフルーツを食べる時、
皮だけ食べて大満足
実が腐ってもぜんぜんおっけー!ということなど
ありえるだろうか。
さて、本題に戻る。
歴史、といっても古代、近代、現代に至るまで
かなり様々だ。
日本に置ける歴史観と
西洋アメリカヨーロッパに置ける歴史観は全く異なる。
アジアだけでみても
日本と韓国の歴史は全く違う。
日本人が東京裁判についてほとんどしらないことを知ると
韓国人は目を広げて声を上げる。
それくらい日本にとっても韓国にとっても重要な裁判なのだが
日本の学校の授業ではその重要性が
生徒の記憶に残るほど語られる事はない。
東京裁判はほんの一例。
日本人が学ぶ歴史が絶対ではない
韓国人が学ぶ歴史が絶対ではない
つまりあなたが知っている歴史は絶対ではないのだ。
もちろん私が知っている歴史も。
尚美
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