命の交換はどうして出来ないの?

命の交換はどうして出来ないの?

父方の祖母が亡くなった時の衝撃

何が起きたか分からなかった。
10歳の冬。
父は神奈川の田舎の農家の次男坊。
大きな敷地の中にある
祖父が立てた小さな家に
住んでいた頃。
家でいつも通り過ごしていると
母がうつむきながら
こっちを見ずに
「おばあさん、亡くなったよ」と。
すぐ近くの病院に入院したと、聞かされていた。
お見舞いも行かず
何日かたったらそのうち帰ってくるものだと
確信していた。

私にとっての祖母

背中がすごく曲がっていたけど
大きな優しくキラキラした目で
いつも優しくしてくれた人
私が母親に怒られて
家を追い出された時
父も2人の姉達も助けてくれなかった。
5人でヒトツの家族なのに
誰も助けてくれない
冷たい玄関の石
じゃりじゃりした小石が手に刺さり、手に、足に食い込む
おばあちゃんの所にいくしかなかった
祖母の手はとてもあたたかかった。
我慢していた涙も止めどなく流れて
飽きるまで、枯れるまで泣いた。

「辛いことがあっても、誰かが助けてくれる」

そんな安心感が私のなかに育っていったんだと思います。
この世は、この宇宙は必ず辛いことや悲しいことがある。
それは決して避けられない。
だけど誰かがきっと助けてくれる。
自分も助ける側でありたい。
それならきっと誰かが助けてくれる。
そんな風に思いながら生きていたのに突然死んでしまった。
何も出来ない無力感。
泣くことが何の意味もなさないことを知っているから
私は泣かなかった。
唯一絶対自分を守ってくれる存在がこの世から、この宇宙から消えてしまった。
一緒にいくこともできない
変わってあげることもできない。
多くの人に愛され、葬儀の列も長く長く・・・・本当に町中の人が来たんじゃないかって思うくらい
沢山の人がきた。
命の交換はどうしてできないんだろう。
洋服やお菓子や鉛筆は交換できるのに

どうして命は交換できないんだろう?

「命」について真剣に考えるようになったのはこの時が初めてだと記憶しています。
この、「命」についても
論理的に、かつ科学的にそしてspiritualな要素も維持しつつ語れる
不思議な学問、それがHITOTSU学。
NR JAPANの提供する学問であり、技術(Ntech)。
命とは何か?
それが陰陽統合、科学と哲学の融合、男女,生死とも同じ体相用であることが
自分の人生や人間関係とすべて繫がって理解できてしまう
ワクワク実践の学びが
NRの認識セミナーです。
死が輝くこと
生が輝くこと
命の交換が出来ない本当の理由
すべてを活用できる、そんなワクワクキラキラな人生がが手に入りました。
命について、真剣に考え、人と意見交換が出来、多くの気づきが得られる場
宇宙森羅万象の仕組みを活用して
参加者が主役、参加者の気づきを連鎖させる場。
JOYカフェはそんな風に作られています。
7月中にももう一度開催していきたいと、思っています。
乞うご期待!
naomijoy

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