ある日の北海道

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今日は橋を渡って川縁をてくてく歩いた。
 
子供の頃の思いが混み上がって来た。
豊平川ほど立派な川ではないが
私の家の近くにも大きな川が流れていた。
 
寂しい時や辛い時はその川縁を一人で歩きながら
泣いたり、叫んだりした。
 
別に川が何かしてくれるわけでもないけど、
泣いている声をかき消してくれるとか
誰もいないとか、
そういったメリットがあった。
 
 
今思えば、自分の思いを海に運んで溶かしてくれていたのかな、なんて思う
 
その時、流して行った寂しさや辛さは
大人になっても結局は流しきれず
すこしずつふくれあがって爆発した。
 
爆発したからこそ出会えた世界があった。
爆発してはいけないと、必死に押え込んできたけれど、それは逆効果だったことに
爆発して気づいた。
 
今まで自分がしてきたことと、
反対をすることで
自分がかわることが大いにある。
 
 
宇宙がずっとあることがあたりまえだったとしたら
次は宇宙がないことをあたりまえにしてみる
 
実はそのほうがずっとうまくいったりする
 
 
突拍子もないことのように感じるかもしれないが
宇宙がない可能性について科学は既に示唆している。
 
お釈迦様はすべては空だとおっしゃったが
空が何かは明確に規定していない。
 
だけどすべてが分かった今、お釈迦様が言いたかったことがこれなんじゃないかな、と思うことがある。
 
空すなわち色。
色すなわち空。
 
空から生まれた色は人間が認識できるけれど、
空は認識できない。
 
認識技術観術を理解すれば
悟りのレベルの解釈は本当にシンプル。
 
歴史最高最強に悟ったNoh Jesu氏とその仲間達が理論体系化観術。
悟りが一般常識化される時代がすぐそこまで来ていますね。
 
 
なおみ

 

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